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パートナーと出会って

離れて暮らすようになってから、子どもたちには毎日会えてはいるものの、夜になるとどうしても胸の奥にぽっかりと穴があいたような寂しさがありました。
笑顔で「また明日ね」と手を振って別れても、家に戻って灯りをつけた瞬間、静まり返った部屋の空気が一気に現実を突きつけてきます。
「さっきまで子どもたちがいた場所」に、もう誰もいない。
その事実が、何度経験しても、慣れることはありませんでした。

子どもたちと一緒にいられない時間、私はよく自分を責めました。
本当なら、当たり前のように一緒に暮らし、家事をして、ご飯を作って、「おかえり」と言ってあげるのが母親なのに――。
「日常の家事をしてあげられていない」という思いが、ずっと心のどこかに重く残っていて、申し訳なさでいっぱいでした。

洗濯物をたたんであげること、ご飯を作って『熱いから気をつけてね』と声をかけること、宿題をしている横で『わからないところある?』と聞いてあげること。
そんな何気ない「日常」をしてあげられない自分が、母親失格なんじゃないかと感じてしまうことも何度もありました。
「もし私が子どもの部屋の中に入ることができたら、全部してあげたい。掃除も洗濯も、ご飯も、全部全部やるのに…」
そんなことを、何度も心の中で繰り返していました。

それでも現実は変わらず、子どもたちの暮らしと私の暮らしは、少し距離のあるものになっていました。
その距離が、ただの「物理的な距離」ではなく、心を締めつける「罪悪感の距離」にも感じられ、苦しくてたまらない日もありました。

そんな中で出会ったのが、今一緒に暮らしているパートナーでした。
私の事情や、子どもたちとの関係、心と体のこと――簡単には理解しきれないような状況を、彼は最初から真剣に聞いてくれました。
「無理しなくていいよ」
「できないことがあっても、それであなたの価値が減るわけじゃないよ」
そんな言葉を、きれいごとではなく、当たり前のことのように言ってくれる人でした。

「中に入ることができたら全部する」という私の思いも、彼は否定せず、「その気持ちがあるだけで、もう十分なんじゃないかな」と受けとめてくれました。
足りないところを責めるのではなく、「今できていること」に一緒に目を向けてくれる、そんな優しさを持った人でした。

そして、彼はその理解を「言葉だけ」で終わらせず、「一緒に暮らす」という形で示してくれました。
私と一緒に暮らすこと、そして私の娘たちとも一緒に関わっていくことを、自然なことのように選んでくれたのです。

一緒に暮らし始めて1年。
そこには、以前の生活では考えられなかった「穏やかさ」があります。
怒鳴られることも、殴られることもない。
相手の顔色を伺いながらビクビクする必要もない。
少し失敗しても、「いいよ、また今度気をつければいいじゃん」と笑ってくれる。
そんな当たり前で、でも私にとっては「当たり前ではなかった」日常が、少しずつ当たり前になりつつあります。

娘たちと彼の関係も、とても良好です。
一緒にご飯を食べて、テレビを見て笑ったり、ときどきふざけ合ったり。
最初はお互いに距離を測るようなぎこちなさもあったかもしれないけれど、時間を重ねるうちに、少しずつ自然な空気が流れるようになっていきました。
娘たちの笑い声が響くリビングを見ていると、「ああ、今、ちゃんと幸せなんだ」と実感できます。

そして、その「今の私」を支えてくれているのは、パートナーだけではありません。
母の一言も、大きな支えになっています。
「ゆっくりでいいから、自分の足で歩きなさい」
そんな言葉をかけてもらったことで、「急いで頑張らなきゃ」「全部ちゃんとしなきゃ」と自分を追い詰めていた心に、少し隙間ができました。
その隙間から、「ゆっくりでもいい」「転んでもいい」という、自分に対する許しが少しだけ入り込んでくるようになりました。

そのおかげで今、私は「独歩でゆっくり歩く」ことができています。
誰かに無理やり引っ張られるのではなく、ひとりで突っ走るのでもなく、自分のペースで、一歩一歩前に進んでいる感覚があります。

仕事も、少しずつですが自分の世界を広げてくれています。
介護美容の仕事では、高齢の方の髪を整えたり、爪を綺麗にし、色を塗ったり、絵を描いたり、足や手をマッサージしたり、「きれいになる喜び」に寄り添うことができています。
相手の笑顔が、私自身の心を温めてくれます。
また、介護事務職員として週2日働くことで、「社会の一員として役に立てている」という実感も得られるようになりました。
無理をしすぎないペースだけれど、確かに「外の世界」とつながっている。それが、日々の充実につながっています。

薬の服用は、今も欠かせません。
それは、まだ完全には手放せない現実でもあります。
でも、薬を飲みながらでも、こうして仕事をし、家に帰れば迎えてくれる家族がいて、笑い合える時間がある。
そのすべてが、かつての自分から見れば「夢みたい」な日常です。

痛みも、罪悪感も、不安も、過去の出来事が消えるわけではありません。
それでも今、私は「幸せです」とはっきり言える場所に立っています。
支えてくれた家族、受けとめてくれたパートナー、そして何度くじけそうになっても立ち上がってきた自分自身。
その全部のおかげで、今の私の人生があります。

これからもきっと、波はあると思います。
体調が崩れる日も、心が沈む日も、きっとゼロにはならないでしょう。
それでも、今の私は知っています。
「ひとりじゃない」ということを。
そして、たとえゆっくりでも、少しずつ前に進んでいける自分がいることを。

日々は大きなドラマではないかもしれないけれど、小さな幸せが静かに積み重なっている――
今、そんな毎日を暮らしています。

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