top of page

精神的不安な時期

あの頃の私は、いつも胸の奥がざわざわしていて、地面が少しだけ傾いているような、不安定な世界の中を歩いているような感覚で生きていました。

長女が4歳、次女が1歳。まだまだ手がかかるけれど、言葉も表情も豊かになってきて、毎日少しずつ成長していく、小さな命たち。その二人と私の、ささやかだけれど大事な日常は、夫の「ただいま」で一日の終わりを迎えるはずのものでした。

けれど、あの日、夫の職場で突然「イレギュラーなこと」が起きました。

「いつ帰れるか、わからない」

電話口の向こうから聞こえたその言葉は、私の中の安心を一気に奪っていきました。時間が止まったような、でも時計だけが無情に進んでいくような、変な感覚でした。子どもたちの声が遠くに感じられて、家の中の音が、どこかよその家の出来事みたいに、ぼんやりしていました。

その頃の私は、ただ「お母さん」でいるだけでも、精一杯でした。ご飯を作って、食べさせて、お風呂に入れて、着替えさせて、寝かしつけて。誰も見ていないところで、何度も深呼吸して、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせていました。

けれど、夫が「帰ってこないかもしれない」と思った瞬間、その小さな「大丈夫」が音を立てて崩れ落ちました。

あの瞬間、私の中で何かが切れたように感じました。

胸がぎゅっと締めつけられて、息を吸っても吸っても空気が足りない。手足が震えて、心臓が喉元までせり上がってきて、頭の中が真っ白になっていく。目の前の景色がゆがんで、遠くなって、自分の声なのに自分のものじゃないように感じる。これが「パニック発作なのだ」と、後から知りましたが、その時の私は「このまま死んでしまうんじゃないか」と本気で思っていました。

それでも、子どもたちは待ってくれません。

「ママ、これ見て!」
「ママ、のどかわいた」
「ママ、だっこ」

たくさんの「ママ」が一度に押し寄せてきて、私は必死で笑顔を貼りつけました。声が震えているのが自分でもわかるのに、「大丈夫だよ」と言いながら、心の中では「助けて」と叫んでいました。

どうしようもない不安と恐怖が、身体の中を駆け巡る中で、私はリストカットに手を伸ばしてしまいました。

痛みで、ぐちゃぐちゃになった心を、何とか別のところにそらしたかった。頭の中で渦巻いている「不安」「恐怖」「消えてしまいたい」という黒い感情を、どこかに押し出したかった。刃物を手に取る自分を、どこか冷めた目で見ているもう一人の自分がいて、それでも止めることができませんでした。

切った瞬間、じわっとにじむ血を見て、少しだけ呼吸ができるようになる。その安堵感と同時に、激しい自己嫌悪が押し寄せてきました。

「母親なのに何をしているんだろう」
「こんな私が、子どもたちのお母さんでいいはずがない」

そう思いながらも、やめられない自分がいました。

そのうち、このままでは本当にダメになってしまうと感じ、母に子どもたちを預けて、再び心療内科に通うことにしました。病院の待合室に座っていると、自分が「弱い人間」の烙印を押されているような気がして、視線を床に落としたまま順番を待ちました。

診察室に呼ばれ、医師にこれまでのことを話すうちに、気づいたら涙がぽろぽろとこぼれていました。自分でも驚くくらい止まらなくて、言葉がつかえて、うまく話せない。それでも必死に、「怖かったこと」「不安だったこと」「リストカットしてしまったこと」を、一つずつ言葉にしていきました。

処方された薬を飲むために、授乳をやめる決断もしました。

断乳は、想像以上につらいものでした。子どもを抱いて、求めるままにおっぱいをあげていたあの時間は、私にとっても「つながっている」という安心感をくれるものでした。それを、薬のために手放さなければならない。頭では「仕方ない」「私が元気でいるために必要なことだ」とわかっていても、胸の奥では「ごめんね」「ごめんね」と子どもに謝り続けていました。

その頃から、リストカットはまた、私の中でひっそりと復活してしまいました。

誰にも言えない秘密のように、袖の中に隠された細い傷跡たち。ふとしたときに目に入るその線を見て、「ああ、またやってしまった」と心の中で自分を責める。でも、追い詰められた夜になると、どうしてもそこに頼ってしまう。

そうしているうちに、夫が夜勤で家にいない日、あるいは帰りが深夜を越える日になると、発作が起きるようになりました。

夕方が近づいて、窓の外が少しずつ暗くなっていくと、胸の奥がざわざわしてきます。時計を見る回数が増え、スマホを手に取っては時間を確認し、LINEの既読や通知に、いちいち心を揺さぶられる。

「今日は帰ってこない」
その現実が、何度経験しても慣れることはありませんでした。

子どもたちをお風呂に入れながら、不意に「もし今、私が倒れたらどうしよう」と考えてしまう。寝かしつけをしながら、「この子たちを無事に大人にさせられなかったらどうしよう」という恐怖に、喉が詰まりそうになる。

夫がいない夜は、世界に私と子どもたちだけが取り残されたような気がしていました。

「一人で頑張らなければならない」
「私がやらないと、子どもたちが死んでしまう」

そんな極端な思考が、まるで真実であるかのように、何度も何度も頭の中で繰り返されました。少しでも気を抜いたら、何か取り返しのつかないことが起こるんじゃないか。だから、気を張り続けるしかない。自分の心と身体が限界に近づいていることに気づいていても、「やめる」「休む」という選択肢が見つかりませんでした。

夜中、家の中が静まり返り、子どもたちの寝息だけが聞こえる時間帯になると、不安は形を変えて襲ってきます。

「このまま朝が来なかったらどうしよう」
「今、目をつぶったら、そのまま二度と目を開けられないかもしれない」

眠りたいのに、眠ることが怖い。ベッドの中で目を閉じては飛び起き、何度も時計を見て、時間だけが過ぎていく。そんな夜を、いくつも、いくつも越えてきました。

発作が来るたびに、自分が壊れていくような感覚がありました。
リストカットをしてしまうたびに、「母親失格だ」と自分を責めました。
それでも、朝になれば、私はまた「ママ」として起き上がらなければならない。

重たい身体を引きずるように布団から出て、子どもたちに「おはよう」と声をかける。あの笑顔に何度、救われたかわかりません。小さな手がぎゅっと私の服の裾を掴む感覚に、「まだここにいていいんだ」と、かろうじて自分をつなぎ止めていました。

あの頃の私は、いつも綱渡りの上に立っていました。
落ちてしまいそうな恐怖と、必死で踏ん張る足。
泣きたいのに泣けない日もあれば、ちょっとしたことでも崩れ落ちるように泣いてしまう日もありました。

「一人で頑張らなきゃ」と自分を追い詰めながらも、
本当はずっと、「誰か、そばにいて」「誰か、わかって」と、心の奥で叫んでいたのかもしれません。

あの時の苦しさも、孤独も、弱さも、全部ひっくるめて、たしかにあの場所に、あの時間に、私は存在していました。揺れながら、傷つきながら、それでも子どもたちのために、何度も立ち上がろうとしていた、自分がいました。

今思い返しても、胸がぎゅっと締めつけられるようなあの時期。
あの不安と恐怖の中で必死に息をしていた自分を、少しだけ、そっと抱きしめてあげたいような気持ちになります。

bottom of page