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病院と警察の対応

病院と警察での対応は、今思い出しても胸がざわつくほど、現実とは思えない時間でした。

あの日、私はすぐにバスに乗って実家へ向かいました。
身体の痛みもありましたが、それ以上に、心がズタズタになっていました。バスの揺れが傷口に響くたび、あのときの光景がフラッシュバックし、涙をこらえるので精一杯でした。
「どうしてこんなことになったんだろう」
自分の身に起きたことなのに、どこか遠くの出来事のようで、現実感がありませんでした。

実家に着くと、家族に事情を話しました。言葉にしようとした瞬間、喉が詰まり、声が震えて、うまく説明できませんでした。
それでも、母や家族は私の様子を見てすぐに状況を察し、「まずは病院に行こう」と支えてくれました。
病院では、診察台に横たわりながら、医師の冷静な声を聞いていました。
「全治10日間ですね」
その言葉を聞いたとき、「10日も…」とも思ったし、「10日で済んだのか…」とも思いました。
骨折や大怪我ではなかったことにホッとする気持ちになりました。

診察が終わると、今度は警察に行くことになりました。
事情聴取が始まり、私は一つひとつ、あのときのことを話さなければなりませんでした。
誰かに説明するたびに、心の傷口を自分でこじ開けて見せているようで、胸が締めつけられました。
「なぜ殴られたのか」「どのように殴られたのか」「そのとき相手は何と言っていたか」
細かく聞かれるたび、涙が溢れそうになるのを必死にこらえました。

その一方で、主人は――私を殴ったあと、何事もなかったかのように東京出張に行っていました。


その事実を口にするとき、悔しさと虚しさで、言葉が震えました。
「私をあの状態にしておいて、出張に行ける神経って何なの…?」
怒りとも悲しみともつかない感情が、心の中で渦を巻いていました。
警察の方も、その話を聞いてかなり厳しい口調になり、主人のことを強く注意していました。
「こんなことは絶対に許されないことです」とはっきり言われ、その言葉に少し救われる自分もいました。
「私の感じている“おかしさ”は間違っていなかったんだ」と、誰かに肯定してもらえた気がしたのです。

事情聴取の中で、警察の方から何度も繰り返し言われたことがありました。
「あなたの命にも危険があるかもしれません。すぐにシェルターに行って下さい」
「戻るのは危険です。避難した方がいいです」

そのたびに、私はうなずきながらも、心の中では別の葛藤を抱えていました。
頭では「このまま家に戻るのは危ないかもしれない」と理解していました。
もしかしたら、次はもっとひどいことになるかもしれない。
そう考えると、怖くて仕方ありませんでした。

でも――
「子どもを置いていくこと」だけは、どうしてもできませんでした。
警察から「シェルターへ」と勧められるたび、頭の中に浮かぶのは子どもの顔でした。
あの小さな手、あの寝顔。
「私だけ安全な場所に行って、この子たちを置いていくなんて、できない」
それが、私の中でどうしても動かせない気持ちでした。

だから私は、警察に何度も心配され、説得されながらも、シェルターには行きませんでした。
被害届も出しませんでした。
「もし出したら、主人の人生を壊してしまうかもしれない」
「子どもたちの父親を犯罪者にしてしまうかもしれない」
そんな思いもありましたし、何より、この先の生活がどうなってしまうのかが怖かったのです。
被害届を出さなかった自分を責める気持ちも、心のどこかにはあります。
でもあのときは、精一杯考えたうえでの、精一杯の選択でした。

しばらくして、義理の両親が家に来ました。
玄関先で、義父と義母は深く頭を下げ、「本当に申し訳なかった」と謝ってくれました。
義母の目は赤く腫れていて、どれだけショックを受け、心配してくれたのかが伝わってきました。
義父も、普段あまり感情を出さない人なのに、そのときばかりは険しい表情で、「あいつには厳しく言う」と繰り返していました。

その姿を見て、私は複雑な気持ちになりました。
義両親には何の罪もありません。
むしろ、頭を下げられるのは私の方なのかもしれないとさえ思いました。
それでも、義両親の「申し訳ない」という言葉に、少しだけ救われた自分もいました。
「分かってくれている人がいる」「これはおかしいことなんだと言ってくれる人がいる」
その事実が、沈みかけていた心を、かろうじて水面に戻してくれたような気がしました。

病院、警察、義両親――
いろいろな人たちの対応を通して、私は改めて、自分がどれほど危険な状況にいたのかを思い知らされました。
同時に、守ろうと手を差し伸べてくれた人たちがいたことも、確かでした。

けれど、子どもを置いていけなかった私は、あの日、結局「家に戻る」という選択をしました。
正しかったかどうかは、今でも分かりません。
それでも、あのときの私は、母として、あの子たちを手放せなかった――それが、嘘のない本心でした。

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