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心の限界、自殺を考えた時

6回も離婚届を出そうとして、そのたびに破られました。
紙を破く、あのビリビリという音が、今でも耳の奥にこびりついて離れません。
ただの一枚の紙かもしれない。でも、私にとっては「この地獄から抜け出したい」という、最後の望みでした。その紙が破り捨てられるたびに、私の心も一緒に引き裂かれていくようでした。

暴力もありました。
突然飛んでくる手。物が床に叩きつけられる音。
身体に残る痛みよりも、心に刻まれる恐怖のほうが、ずっと深くて消えませんでした。
「自分が悪いんだ」「怒らせる私がいけないんだ」と、いつからかそう思い込むようになっていました。
相手の機嫌を伺って、声のトーン、足音、ちょっとした表情の変化にまで、神経をすり減らしていました。

言葉も刃のようでした。
「役立たず」「お前なんか」
そんな言葉を浴びせられるたび、心のどこかが確実に削られていきました。
本当は違うと分かっているはずなのに、何度も何度も言われるうちに、「私はダメな人間なんだ」と、自分で自分を信じられなくなっていきました。
涙を見せたら、もっと責められる。だから泣くこともできなくなって、ただ感情を押し殺して、過ぎていく毎日をやり過ごすことしかできませんでした。

「もう限界だ」と感じたのは、一瞬の出来事ではなく、長い時間をかけて、少しずつ心がすり減っていった結果でした。
何度も我慢しました。
「子供がいるから」「家族だから」「私さえ耐えれば」
そう自分に言い聞かせて、歯を食いしばって、心の悲鳴に蓋をしてきました。

でも、ある日、その蓋が完全に壊れてしまったのです。

子どもたちのことを考えなかったわけではありません。
むしろ、子どもたちのことを考えるからこそ、耐えてきたのだと思います。
「お父さんとお母さんが揃っていた方がいいのかな」
「片親になったら、子どもに寂しい思いをさせてしまうのかな」
そんな思いが、いつも頭の片隅にありました。

それでも、私の心はとうとう悲鳴をあげました。
「もう無理」
そう心の中でつぶやいた瞬間、糸がぷつんと切れたような感覚がしました。
頑張る力も、耐える力も、前を向く力も、何も残っていない。
ただ、ひたすらに「消えてしまいたい」と思うようになっていました。

自殺を考えたあの日、頭の中は真っ白でした。
未来のことも、子どもの笑顔も、何一つまともに思い浮かびませんでした。
苦しみから逃れたい、その一心でした。

前の日、私はリストカットをしました。
冷たい刃物の感触、皮膚が切れる感覚、じわりと滲む血。
本当は怖いはずなのに、そのときの私は、怖さよりも「楽になれるかもしれない」という歪んだ安堵の方が勝っていました。
自分がどれだけ追い詰められていたのか、今振り返るとよくわかります。

そんな私を見つけてくれたのは、長女でした。
血のついた腕を見た瞬間の、娘の顔――
あの驚きと、恐怖と、必死の表情は、今でも忘れられません。
「お母さん、病院行こう!」
そう言って、震える声で私に呼びかけ、すぐに病院へ連れて行ってくれました。

本当なら、親である私が子どもを守らなければならないのに、そのときは、子どもに守られていました。
その現実が、あとからじわじわと胸に刺さってきました。

あの時の私は、「子供に迷惑をかけていない」なんて、とても言えない状況でした。
頭では分かっているのに、心が壊れかけていて、正しい判断ができなくなっていたのです。
「母親失格だ」「こんな私のせいで、子どもを巻き込んでしまった」
申し訳なさと自己嫌悪でいっぱいでした。

病院へ向かう車の中でも、病室のベッドの上でも、涙は出るのに、頭の中はうまく働きませんでした。
自分のしたことの重大さも、娘の必死さも、どこか現実感がなくて、ただ「ごめんね、ごめんね」と心の中で繰り返すことしかできませんでした。
声に出して謝りたいのに、喉が詰まって言葉にならない。
そんな自分が、また情けなくて、また申し訳なくて、苦しくてたまりませんでした。

それでも、あのとき長女が気づいてくれなかったら、あの一歩を踏み出して病院へ連れて行ってくれなかったら――今ここにこうして振り返ることすら、できなかったかもしれません。

あの日から、「生きる」ということが、以前とは違う意味を持つようになりました。
生きることはただ「耐えること」じゃない。
心が限界を迎える前に、「助けて」と言っていい。
自分の心が悲鳴を上げているとき、それに気づいてあげることは、弱さではなく、本当はとても大事な「勇気」なんだと、後になって少しずつ理解できるようになりました。

でも、その境地にたどり着くまで、私は本当にギリギリのところまで追い詰められていました。
暴力と暴言、破られ続けた離婚届、出口の見えない日々。
子どものことを思いながらも、自分自身がボロボロになってしまった現実。
長女に助けられ、病院へ運ばれながら、心の中は「申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。

「ごめんね」
「こんなお母さんで、ごめんね」

何度も、何度も。
それでも、その「ごめんね」の裏側には、ほんのかすかに「もう一度やり直したい」「ちゃんと生き直したい」という、消えかけた小さな希望もあったのかもしれません。
その小さな光を、あの日、長女が必死に拾い上げてくれた――
そう思うと、胸が締めつけられるような、言葉にならない感情がこみ上げてきます。

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