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家族4人での生活

妊娠7ヵ月の際、絶対安静が守れるなら、実家に帰って良いと先生が仰って下さいました。
入浴はダメ、外出も病院だけ、食事も母と、双子の妹が作ってくれました。
家族総出で、助けてもらい、迷惑をかけたと思います。
臨月になると入浴もでき、初めて7ヵ月ぶりに外出しました。
外の空気が新鮮だったことは忘れません。文章を長めに、感情移入と、希望も書いてください。

妊娠7ヵ月に入った頃のことです。
長い入院生活で、心も体も限界に近づいていた頃、先生から思いがけない言葉をかけられました。

「絶対安静を守れるなら、実家に戻っても大丈夫ですよ。」

その一言を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなりました。
ずっと病院のベッドと天井しか見てこなかった毎日から、一歩だけでも違う場所に行ける――その事実が、信じられないほどの希望に感じられました。もちろん不安もありました。病院の外に出ることが怖い気持ちもありました。でも「実家なら」という言葉が、心の支えになりました。

実家に戻ってからの生活は、やはり「絶対安静」が大前提でした。
入浴はダメ、シャワーさえ許されず、身体を拭いて清潔を保つだけ。外出も、許されているのは病院への通院だけ。自由に動くことは何もできませんでした。
それなのに、不思議なことに、病院にいたときよりも心が少し軽くなったのです。見慣れた家の壁、廊下の匂い、リビングの時計の音。それら全部が、「帰ってきたんだ」という安心感を与えてくれました。

食事は、母と双子の妹が毎日用意してくれました。
私が動けない分、母は朝から晩まで台所に立ち、私の体に負担がかからないような献立を考え、栄養バランスを気にしながら作ってくれました。
双子の妹も、仕事や自分の時間があるはずなのに、「大丈夫?何か食べられそう?」と、当たり前のような顔をして手伝ってくれました。
ご飯が運ばれてくるたびに、「ありがとう」と口に出すのに、その一言では足りない申し訳なさと感謝が、いつも胸の奥に重く、でも温かく広がっていました。

母の前ではなるべく泣かないようにしようと思っていました。
心配をかけたくないし、弱いところを見せたら、自分が崩れてしまいそうだったからです。
でも夜、みんなが寝静まったあと、暗い部屋でひとりになると、どうしても涙が出てきました。
「こんなに迷惑かけてしまっている…」
「みんな自分の生活があるのに、私のために時間を使わせてしまっている…」
そう思うと、自分が家族の負担になっているようで、情けなさと申し訳なさで胸がいっぱいになりました。

それでも、母は決して「迷惑」なんて顔をしませんでした。
「赤ちゃんのためだよ」「今はあんたが一番大事なんだから、気にしなくていいの」
そう言って、布団をかけ直してくれたり、お腹にそっと手を当ててくれたりしました。
双子の妹も、「うちらの家族なんだから、助けるのは当たり前でしょ」と、さらっと言ってのけました。
その何気ない言葉たちが、どれだけ私を支えてくれたか、言葉では言い表せません。

絶対安静の生活は、実家に戻ってからも楽なものではありませんでした。
横になっているだけの日々は、体力的な辛さだけでなく、精神的な孤独も伴います。
動きたいのに動けないもどかしさ、自分は“何もしていない”という無力感。
でも、病室の白い天井ではなく、子どもの頃から見てきた天井を見上げていると、不思議と「大丈夫かもしれない」という小さな希望が湧いてきました。
ここは、自分が育ってきた場所であり、守られてきた場所。その家で、今度はお腹の中の子どもを守っている。それが、細いけれどまっすぐな一本の糸のように、心をつないでくれていました。

そして、臨月を迎えた頃――
先生から「そろそろ入浴もしていいですよ」と言われました。
その言葉を聞いたとき、思わず「本当にいいんですか?」と聞き返してしまったほどです。
お風呂に入ることが、こんなにも特別で、嬉しくて、ありがたいことだったなんて、それまでの人生で考えたこともありませんでした。湯船につかりながら、何度も深呼吸をしました。
「ここまで来たんだな…」
体の芯まで温まる感覚と一緒に、心の中までじわっと安堵が広がっていきました。

そして、初めての「外出」が許された日。
なんと、約7ヵ月ぶりでした。
玄関のドアを開けた瞬間、ひんやりとした外気が肌に触れ、その空気の匂いに驚きました。
風の感触、空の広さ、遠くから聞こえる車の音や人の声。
普段なら何も気にせず通り過ぎてしまうようなものすべてが、まるで光り輝いているように感じられました。
ほんの少し歩いただけなのに、世界がこんなにも色づいて見えるのかと、胸がいっぱいになりました。

「外の空気って、こんなに新鮮だったんだ…」

その感動は、今でも忘れられません。
当たり前だと思っていた日常が、決して当たり前ではなかったこと。
歩けること、空を見上げられること、風を感じられること――その一つ一つが、どれほど幸せで尊いものだったのか、身をもって思い知らされました。

あのとき、家族に支えられながら過ごした日々は、決して楽ではなかったけれど、確かに「希望」がありました。
自分ひとりでは乗り越えられなかった不安や孤独も、母や妹の存在、実家という安心できる場所のおかげで、少しずつ溶けていきました。
お腹の赤ちゃんが動くたびに、「この子も一緒に頑張ってくれているんだ」と感じることができました。
そして、家族の支えがあったからこそ、「この子を必ず抱きしめたい」「生まれてくる日まで、絶対に諦めない」という強い想いを持ち続けることができたのだと思います。

命がけの妊娠の中で、実家は、私にとって「戦うための安全な場所」であり、「希望を思い出させてくれる場所」でした。
迷惑をかけたという思いは今もどこかに残っているかもしれません。
でも同時に、あの時、家族が注いでくれた時間と愛情は、確かに私とお腹の子を守ってくれた――そう胸を張って言える大切な記憶です。

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